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怪しげな日本人論 いわゆる「KY」と映画(DVD):『善き人のためのソナタ』からの想起

 私は、2007年に最も流行した言葉は、「KY;空気を読め(読めない)」であると、考えるが、これにはいささか残念である。たしかに、空気を読む力は、日本ではとりわけ必要であろう。そして、人間であるならば、海外でもある程度は必要なものである。しかし、もし日本人が日本を真に民主主義・自由主義・資本主義にしたければ、空気を読む力などはさほど必要ではないはずである。なぜならば、民主主義・自由主義・資本主義では、個人の思想が、全体を構成するからである。すなわち、他者を必要以上に、「読む」必要はないのである。空気を読む力とは、察するということである。(複数の)他者のつくり出す、醸し出す何かを察するということである。これは、思うに実に日本的であるのだが、民主主義・自由主義・資本主義においては、相当に程度が低い国民性を如実にあらわしている。なぜならば、社会主義的であるからである。すなわち、空気を読むということは、全体の何かを読むということであり、個人の、たとえば、私の主張や方法論の異なりや経済感覚はさほど重要ではなく、空気という何やら怪しげな社会主義的なるものを重視するということであるからである。

 これは民主主義・自由主義・資本主義国家の成長を阻害するものである。たしかに、他者の存在を尊重することは必要である。日本に限らず、必要である。しかし、これは必要最低限のマナーの問題である。とりたてて騒ぎ立てるようなことではないのである。すなわち、日本でここまで、「KY;空気を読め(読めない)」という言葉が流行するということは、日本人は、民主主義・自由主義・資本主義の成長に、これらの思想の出自である西欧・欧米人のような期待がないのであろう。日本人は、これ以上の西欧・欧米化は望んでいないのであろう。このように考えると、日本にはやはり社会主義的要素が必要であるのかもしれないと思えてくる。

 私自身、これ以上の西欧・欧米化は望まない。私は、これを似非論理で説明することができる人間であるが、大多数の日本人は、感情で表明する。突発的な犯罪行為もそうであるが、この「KY」に凝縮されているように思える。もともと女子高生が発信した言葉であるようだが(あるいは職業プロパガンディストか)、この言葉がここまで日本人に浸透したことを考えると、民主主義・自由主義・資本主義の貫徹は、ここ日本ではとても困難であろう。私は、国粋的な面はあっても、断じて社会主義は受け入れられない。社会主義的なるものまでが限度である。しかし、これも現在は懐疑の対象である(映画:『善き人のためのソナタ』に表現されている)。

 ここで疑問としたいのは、戦後民主主義なるものである。これはフィクションとしても日本人にはあまり面白いものではなかったのではないだろうか。たしかに、戦後民主主義の恩恵を日本人ならば、ほとんど誰しもが受けている。しかし、これは日本の社会主義的なるものが根底にあったからこそではないか。そうだとすると、ここ十数年の日本が捨てようとしてきた社会主義的なるものこそが、現在、女子高生からでさえも求められているように思えないでもない。私はこれをいささか残念に考える。なぜならば、過去よりもいいものをつくる機会が阻害されそうであるからである。

 東ドイツと新生ドイツが私に何かを思い起こさせる。

 参考:

 

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