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左翼思想に反撥し、論破したければ左翼思想を熟知するべきだ

 私は、2ちゃんねるが好きで、ときどき覗きにいく。私は、2ちゃんねらーのみんなが結構好きだ。日本人の本音がよくあらわれている。彼らないしは彼女らの多くが、<無職・ニート・ひきこもり・フリーライダー>であるとしても、本音を吐露する権利はある。匿名でしか語れないこともあるのである。日本社会は、本音をよしとはしない社会である。偽悪よりも偽善が好まれる社会である。そのような社会では、2ちゃんねるが盛り上がるのは当然である。

 たとえば、良くも悪くも、日本社会は左翼思想に埋め尽くされている。私自身が、左翼・リベラルの家庭で育てられた。そして、私自身が、左翼・リベラルであったといっても、それは嘘ではない。父も母も、急進的な人間であった。物心つく前から、いろいろと吹き込まれてきた。それは、いまとなっても、ある意味で役立っている。

 現在、私は、他者から右派として扱われることが多い。しかし、論理的に諭されることはめったにない。なぜならば、根底にあるのが右派思想ではなく、左翼・リベラル思想であるからである。イデオロギーというものはもはや用済みであるが、私が物事を考えるときに、まず準拠とするのは、右派思想ではなく、左翼思想であり。リベラリズムである。そこから出発して、それを論破するのが、私の思想である。それを右とか保守とか呼ばれるのは構わない。そろそろ、あらたな思想を打ち立てる時期なのである。

 しかし、あらたな思想はまったくの何もないところからは生まれやしない。右派・保守からも生まれるわけがない。土台は、左翼思想・リベラリズムがよろしいのではないか。なぜならば、この思想は豊富なのである。語る者には、ある種の硬直が見られるが、それでも、思想としては、豊富なのである。それが弊害をもたらしているのならば、なおさら、知るべきなのである。そして、知った上で、反撥し、論破すべきである。

 いわゆる保守言論マニア・オタクは、左翼思想を、リベラリズムを、最初から無視する向きがある。これは、あまりよろしくない。敵を知るべきである。仮想敵といってもよいだろう。

 昨今、右翼も左翼も関係ないとされることが多い。たしかに、そういうことはいえるし、私もそう考えることが少なくない。しかし、厳然として、右と左の対立はある。これは思想戦争であるのだが、お互いを知らないことは、そもそも闘いにもならない。うわずべりの論争が永遠と続く。それはよろしくない。なぜならば、思想というものは、人間のためにあるべきものであるからである。これは命題であり、この命題はしばしば無視される。思想を語る人間に問題があるからである。思想というものは、自分のためというよりも、人間のためにあるべきものである。繰り返しになるが、これは命題である。

 私は、右派や保守や右翼に期待を寄せる人間である。左翼・リベラルのやり過ぎに我慢がならないからだ。私のように我慢がならない人間は、自己満足に陥らないためにも、敵対する思想を知るべきであり、それが説得力を持つことになると解される。

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